銀行のポイントサービスについて考えよう。

銀行は預金に対して利子を払い。他の利用者にお金貸し出し、これに対する利息で儲けます。
また、銀行は、お金の引き出しや振り替えなどのとき、昔の両替商と同様に手数料を取っています。


2005-04-08で、電子マネーに対して時間で利息を取ってもいいのではないか?と考えた訳ですが、お金の引き出し時に手数料を取るなら、お金の流動性が高いほど利用者の負担が大きくなる。
銀行=財布になることを考えると、手数料について低く抑えることも検討しなくてはならないでしょう。
1.ある一定期間での預金の増減に対して手数料をとる。
2.ある一定期間での預金残高に対して、一定の利用回数の手数料を控除する。
3.手数料の額に応じて、別のサービスで報いる。

とか、考えられそうです。
ここで、銀行の考えが預金高が多い客がよいと考えるなら(1.か2.)となるでしょうし、サービスを利用する客がよいとするなら(3.)となるでしょう。

3.についは、この利用手数料に対してポイントを与えるという考えかたも出来ます。
まあ、ポイントで何ができるか?というのはありますが、ここで一定のポイントを溜めたら「当銀行の株券」と交換できますとかすると、独自性が出て強いかもしれないなと。
 この株主は、株主=利用者であるから、自分が利用し易くすることをしっかり考える様になるでしょう。しかし、利用し易いだけでは株主としての利益は下がってしまうので、現実を無視したわがままは言わないでしょう。利用者が株主として目覚めると、預金として預ける額をこの銀行の株券として投資するようになるでしょう。株式の資本率が上昇することで、銀行の自己資本率が改善されるでしょう。株主=利用者であるから、リスクの高い貸し出しが不良債権化するのをきらうでしょう。これは業績が悪化すると預金が引き出せなくなるから、単に配当利益のみ狙うのではなく株主が自己資本率を監視するようになるでしょう。
 もっとも、株主=利用者であるから、本人に対しては無謀な貸し付けを要請することが起こり得ます。そうなると、この銀行は巨額の負債を抱えてあっさり破綻(倒産)するでしょう。
これは他の株主が監視しなければならないでしょう。

労働とGNU宣言

GNU宣言では、職業ソフトウェア開発者の収入方法について幾つかの提案やヒントが与えられている。
実際、メンテナンスや特定業務に特化した部門でビジネスになっている。

 ただ、GNU宣言的になるには、あるソフト開発や仕事の完了に幾ら必要と推定できる状況で資金調達できることが望まれる。開発完了後フリーソフトとなるなら、事後に寄付などによって資金を回収するのは難しいといえるかもしれない。これは技術に信頼性があるか、潤沢な資金があれば開発費用を事前に調達することができるだろう。
このような状況で企業は、オープンソースを先に展開し、その成果を取り入れつつビジネスを行うところが出てきている。しかし、それはフリーではないことが多い。

 企業としては、開発したものが、技術公開されることで、次の製品の市場価格を安くしてしまわないかを心配し必ずしもフリーに賛同しないことは想像できる。GNU宣言を支持する職人的な人達の一部はソフトウェアの権利は自分が所有することで仕事を受けようとするかも知れない。

結局、開発に掛かる費用を調達できるという……重要な問題を抜きにすれば……フリーにする/オープンにする/独占したいというのは、お金が幾ら欲しいか?楽がしたいという欲望で、世間と比較した上で大きいか小さいかの違いという気がする。どの辺りの報酬が妥当だと言うのは一概に判断できず、相対的に判断するしかない。

 幸いなことに、フリー(もしくはオープン)な技術が蓄積されると、これら技術を習得する費用が下がるため、個人の学習費用や次の技術を開発するための費用も低下する。

教育・学習には資金が掛かるため、個人の学習費用が低下するという効果は影響が大きいということになる。

しかし、企業が費用を小さく見積もるほど、余分な費用は削られ、これに従事する人々に即戦力を期待するようになってくる。これらの人々は、技術習得費用を収入から転換することが難しくなってくる。よってこれらの人々は、出来るだけコストを掛けずフリーな技術を習得できる環境を望むであろうことが予測される。
フリーな技術が蓄積は、やる気のある個人にとっては、よりよい学習環境を与えるが、そうでない人とこの環境を享受できない人(デジタルデバイド(digital divide; 電子情報格差)の問題)との間ではその格差が広がるだろう。

GNU FDL,GPL,LGPL

つい最近までFDLについては知りませんでした。
文書を自由に使うためのライセンス契約ということらしい。
ただ、著作者の主張を守るための制限事項だとか、書物の文化を反映した「前書き」だとかの
著者が異なる・複数ということに配慮したものを目指しているように思えました。

ただ、個人的にはちょっと考え方が難しいかなと感じてます。
というのも、日本の著作でもある程度なら引用が可能ということ。
別の作品が、ある作品名や著作者名を出し、その1文だけを取りだし、あたかもこれらがいう主張が、ある主張であるかのように見せかけることは可能であること。

そうならば、著作者の同意に基づく文書の作成には、著作者と加筆者の同意があること、コミュニケーションが取れていることの方が両者にとって望ましいとなる。

著作者とこれを取り込む人がまったく別とするならば、利用者が源著者と反対の主張をするのであれ、自分的にはGPLで著作の別を主張した方が明確な区別が付き易い。
もし、辞書や用語集とするならば、その文書の1つ1つの項目を、1つの単位とするライブラリと考えてLGPL的なもの(の拡大解釈のもの)、1つの項目を改変しないならその項目の全文を引用しても構わない。項目の内容を変えるなら、別の著者としてLGPLに従いなさいと云う方が気分的にも楽なような気がします。

ただ色々な想定が絡み合うと、納得できるものに成長しそうな気がします。

電子マネー

ここに来て、感心したのは、はてなポイントっだったりする。
プリペード・カード、クレジットカードのポイントなどポイントで物を買ったりは出きるけど、現金化できるものは少ない。

カードのポイントには使用期間があったりして、ポイントそのものが溜めにくかったします。

はてなポイントは現金化できるので凄い。

電子マネーが振るわないのも、マネーと言いつつ、銀行のお金から何か別の物に置き換わるような雰囲気があるからに違いない。
便利と言いつつ、すべての人が認めている訳ではない。機械がないところでは使えないから、現金を持っている方が良い。

クレジットカードのように、口座にお金がなくても支払いできるほどの威力がない。

駄洒落ていうとマネているだけのような……

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物々交換

物と物の交換だと、純粋に相手の物が自分の持っているものと
交換してもいいか? というのが、関心になります。

例えば、山に住んでいる人がイノシシの肉を持っている。
これを、海に住んでいる人の魚と交換したいというときです。

極端な話、魚を捕る苦労だとか、猪を狩る労力は関係なくなるという考えができます。

ようは、物の価値のみが関心であって、鮮度がいいよいとか美味しそうとかが重要となります。

もっとも、栄養としての価値以外に、珍しいか、捕れ易いかという視点では、価値を人々が見出し有利に交換しようとするでしょう。
またこの付加価値に、さらに余分な苦労(労働)や、コツ(技能や知識)などが入る余地があります。

貨幣について:結論からいうと、お金の価値は環境に依存している。

 字にすると、何の感慨も無い感じです。

地域によって、GDPも違うんだし〜〜円とドルは変動相場だし……

2005-04-03のエッセイ集についてAmazonの紹介を読むと、普通に言われてることのように感じました。
無知なので、めぐり巡って、ようやくその視点で見えて来たという
ところでしょうか?

後は、お金(貨幣)の役割・用途そのものも増殖してきてると思えるように
なって来ました。

貨幣とは -Wikipedia